標高25mのホームに降り立てば、視界に飛び込むのは太平洋の青。かつてJR山田線にあった両石駅は、三陸鉄道の駅として生まれ変わりました。震災で姿を変えた漁港に、大きく嵩上げされた駅前の住宅地。一方で、駅の待合室や近くの公園には昔ながらの風景も。変わるものと、変わらないもの。駅はそれぞれを静かに見守っているように見えました。
両石駅
りょういし
- 釜石駅からひと駅の場所にある両石駅。降り立つホームの標高は約25m。列車を降りてすぐ、三陸の海の清々しい青が目に入りました。
- 震災前の2007年にここを通った際はまだ、JR山田線の駅でした。かすれたホーローの駅名標越しに、リアス式海岸の生み出した両石漁港がちらりと見えたのを覚えています。(2007年3月)
- 山田線の釜石駅〜宮古駅間は震災で8年もの間不通となり、2019年に三陸鉄道に移管される形で営業を再開。この両石駅も三鉄の駅として生まれ変わりました。駅の愛称は「恋の峠 愛の浜」。
- 以前見たホーローの駅名標こそ外されていましたが、ホームからは変わらず三陸海岸と両石漁港が見えました。ただ、津波の被害を受けた港は再整備されており、作業小屋と思しき白いテントがいくつも並んでいたのが印象的でした。
- ホームにある独特の外観の待合室も、震災前からのJR時代には既にあったもの。
- 清潔に保たれた室内に入ると、そこには木製の重厚なベンチ。駅ノートも置かれていました。
- 待合室の海側の窓にはトタンが貼られて直接海を見ることができませんが、扉の窓から辛うじて水平線が見えました。
- 海と反対側に広がるのは、山々と真新しい住宅地。かつての集落は海とほぼ同じ高さにあり、駅までも相当な高低差だったようですが、大きく嵩上げされた今、残念ながら見る影はありませんでした。
- 谷の向こう側には、厳島神社の真っ赤な鳥居と社殿。
- 震災前よりも短くなったであろう階段を降りて、駅前へ。
- 駅前の空き地の先には、入り江が顔を覗かせます。
- よく見ると、遠くには切り立った崖や奇岩の数々。海へと吸い込まれるように、次の列車まで駅前を散策してみます。
- 歩いてわずか3分ほどでいきなり現れたのが、「両石公園」という小さな公園。看板は錆びきっていましたが、どうやら「あさひ公園」という愛称があるようです。
- 急な階段を登ると、足元は深い雑草だらけ。公園なのに人を寄せ付けない気配すらあります。整然と置かれたベンチと公衆トイレ、水道との対比が印象的でした。
- 古びたベンチのほうに歩を進めると、その真ん中には灰皿がひとつ。訪れた際に人の気配は全くありませんでしたが、海を望む高台のこの広場は、多くの地元の方にとって憩いの場だったのでしょう。
- 国道45号のほとりには、1858(安政5)年に建てられたという「魹(とど)供養碑」が残っていました。両石地区で江戸中期からトド漁が行われていたことを今に伝える貴重な遺産です。
- 国道を越えると、高低差が20m近くはありそうな大斜面が見えました。震災では 14.6mもの津波が両石町を襲った といいますが、いざこの高さを目の当たりにすると、唖然とするほかありませんでした。
- 最後に、海と街と駅を同時に見下ろす場所へ。大きく変わりゆく街の様子を、昔の姿を留めた両石駅が静かに見守っているようでした。
- 駅に戻ると、三陸鉄道おなじみの3色の列車が到着。街を一変させるほどの大災害がありながら、こうして三鉄にバトンが渡され、鉄道が再び走っている。その喜びを噛み締めながら、駅を後にしました。